キャンナスからはじまった介護保険外サービス
こんばんわ。
きろんのブログにお越しくださり
ありがとうございます。
今日は
ケアサポートきろんの前身の
キャンナス東大阪について
お話ししたいと思います。
まずは
このブログは
2016年
ハワイ島で開催された
エサレンⓇボディーワークの
アドバンスコースをオーガナイズしてくださった
恵子さんが書いてくださったものです。
https://ameblo.jp/hawaiihealing/entry-12174525723.html
(エサレンⓇボディーワークについてはまた次回に)
ここに滞在することができて
人生がかわった。
もっというと
エサレンⓇボディーワークを知り
カリフォルニアの
Big Surにある
エサレン研究所を訪れた時から
いいえ
その前段階で
長野県の
女神山で行われた
エサレンⓇボディーワークの認定コースに参加した時から
いいえいいえ
ひつこいけど
その前に
箱根の強羅温泉で開催された
エサレンⓇボディーワークの
体験コースに参加した時から
私の人生は
かわっていたのでした。
以前から
連絡を取り合っていた
全国ボランティアナースの会キャンナス代表と
ハワイ島で滞在している間にも
やりとりをしてて
日本に戻ったら
「キャンナス東大阪」を発会しようと
とんとん拍子に
話が進みました。
そして
2016年7月
キャンナス東大阪を
全国で97番目に開いたのでした。
キャンナスは
できるときにできることを
がコンセプトで
介護保険では補えない
みなさまの困りごとに
力になっていきたいというものです。
わたしがキャンナスを知った頃は
訪問看護ステーションで働いてて
キャンナスはまだ全国に
数件しか発会していない頃でした。
わたしもやってみたいけど
勇気がなくて
藤沢の本部までおいでよ、と
声をかけていただいてたのに
代表に会いに行くことができずあせる
10年近く経っていたと思います。
その間
東日本大震災や
那智勝浦の台風被害
熊本の災害があり
その度に
現地に滞在して
ボランティア活動をしてきました。
これは那智勝浦の台風被害のとき
泥かきボランティアに行きましたが
男性陣の中に混じって
スコップでひたすら家の中の泥を運び出す作業でした。
感激したことがありました。
石巻に滞在中
わたしが作って持っていったハーブの匂い袋が
ここにボランティアに来られてたかたの
ワンボックスカーに飾ってあったのですラブラブ
もうビックリでした!!
これです
寝泊まりする旅館も
浸水被害でしたしたが
わたしが担当したおうちは
高齢の方のひとり暮らしの家で
きれいに泥がなくなった家の中を見て
すごくほっとされていました。
石巻と
熊本のときは
キャンナスが設置した
居住地にお邪魔させてもらい
一緒に活動をしました。
その流れで
今度こそは
東大阪に
キャンナスを発会しよう、と
勇気が湧いてきたのですビックリマーク
発会後は
わたしは病院で
正社員で働く傍ら
地道に活動をしておりました。
ひとりではできないので
何人かの知り合いのかたに
手伝ってもらい
案件があれば
シフトを組んで関わっていました。
次に
どのような依頼があったのか
4つほどご紹介させていただきます。
訪問看護を利用されてる
ターミナルの利用者様でしたが
ご家族だけで夜を過ごすのが不安だと
地域のケアマネさんからの依頼で
亡くなるまでの2週間ほど
帯で訪問支援をさせていただきました。
一回が2時間ほどの滞在ですが
ご家族は
1人で見るのは心細いから
助かった、と喜んでくださいました。
老健の入所まちの認知症の利用者さまで
夜に不穏行動があり
ご家族の疲労がすごく
ついてられないとのこと。
この案件も
地域のケアマネさんからのご依頼で
仲間と交代で
泊まりの支援をしました。
お手伝いできるのは
在宅ばかりではなく
病院に入院中の患者さまにも
対応しています。
病院だと
医療保険ですが
保険の範囲以外のことは
病院でも在宅の介護保険でも
取り扱ってくれません。
同じキャンナス支部の方からの
連携依頼でしたが
人工呼吸器を装着中で胃ろうを造られている入院患者さまが
友だちの結婚式と披露宴に参加したいと
ご依頼がありました。
病院の看護師では
外出の付き添いはできません。
そこで
介護保険外のサービスが
役に立つのです。
人工呼吸器を装着し
胃ろうも造設されてしました。
遠方までの車の中でも
気管カニューレからの痰吸引や
披露宴会場での
胃ろうからの注入食と
看護師ならではの
支援をさせていただきました。
行き帰り
13時間に及ぶ支援でしたが
事前に
人工呼吸器の取り扱いは
病院まで出向いて教えてもらえは
今までの経験上
すぐに飲み込めました。
ご依頼は
単発もあれば
何人かでシフトを組んで行う
数ヶ月にわたる案件もありました。
お仕事で忙しいご家族に代わり
毎日面会に行くということもしました。
話し相手になって
少しでも意識レベルを保って欲しい
痰の吸引をして欲しい時に
代わりにナースコールを押して欲しいと
ご家族の希望がありました。
社会福祉協議会からのご紹介でした。
滞在中は
眠られていることもあり
会話はできない日もありました。
足のむくみには
フットマッサージや保湿
ホットタオルを貸していただき
清拭をしたりもできました。
面会の際は毎日
ご家族との交換日記をしていて
ご家族が知らない患者さまの発言や
リハビリの状態をお知らせすると
とても喜んでおられました。
ご自身のお仕事は休むことはできないし
親御さんは気になるし
誰がに病院での様子を見てもらい
それを教えてもらえると
すごく安心して
仕事ができます、と
いつも喜んでいただいてました。
さて
現在ですが
地域包括が関わる「集いの場」などに
ひとコマいただき
参加させてもらっていました。
商店街にある
コミュニティカフェで
まちの保健室を作りたいね、と
構想を練っていましたが
わたしのできるときに
できることを、
というスタイルが難しくなっていました。
まちの保健室は
ひとりではできないですもんね。
看護師だけでもできません。
いろんなメディカルの職種が必要で
看護師もわたしひとりではなく
数人でローテをくんだり
したい人が点だとすれば
その点と点を
いかに見つけて
繋げていくか
そういうオーガナイザーも
必要だったりします。
今わたしは
自分の時間のタイミングが取れず
今は「集いの場」には参加できていません。
その代わりに
ひとりでも
一件でも
依頼があれば
お応えしていこうと思い
WEBサイトをリニューアルし
活動を再開しました。
というのも
母親が要介護状態になり
正社員どころではなく
副業も危なくなり
実質
仕事はリタイアしました。
それならば
以前から
やりたくてもなかなか
時間の調整ができなかった
介護保険外のサービスを
少しづつでもできるんじゃないか、と
サイトを立ち上げたのです。
還暦も過ぎたことだし笑
新しい働きかたを
開拓しようと思いました。
話が最初に戻りますが
人生が変わったのです。
エサレンⓇボディーワークを知ってから
この12年を経て
流れが変わったのだと
今ははっきり見えてきました。
次は
度々出てくる
エサレンⓇボディーワークについて
書いてみたいと思います。
長文
最後までお読みくださり
ありがとうございました。