経歴

  • 病院勤務
  • 訪問看護ステーション
  • 老人保健施設のソーシャルワーカー
  • 在宅支援センターの介護支援専門員
  • 東大阪市・堺市の介護認定審査会
  • 介護福祉士養成校の医療的ケア講師
  • 初任者研修講師
  • 森ノ宮医療大学 臨地実習指導教員
  • 東大阪准看護学院 非常勤講師
  • 成年後見人
  • 認定エンドオブライフ・ケア援助士
  • 東大阪市災害ボランティア会員
  • 東大阪市ファミリーサポート会員
  • 東大阪市オレンジネットワーク協力事業所

資格

  • 看護師
  • 社会福祉士
  • 介護支援専門員
  • 着物着付け
  • アロマセラピーインストラクター
  • エサレン®️ボディーワークプラクティショナー

趣味

  • ゴルフ
  • アロマセラピー
  • 心理占星術

自己紹介

はじめまして。看護師の「ふじわら」です。
わたしの自己紹介をさせていただきます。

看護師歴は2023年で40年目に入りました。急性期病棟が長く、内科や訪問看護、老人介護施設も経験しました。現在は登録で訪問看護と看護学校や介護資格取得アカデミーの講師活動をしており、他は成年後見人が主な仕事です。

還暦過ぎましたので、社会保障の中で生活するがんじがらめの働き方をみなおし、昔からやりたくてもなかなか集中できなかった介護保険外の活動や癒しのお手伝いに移行していきたいと思っています。
わたしはボランティア歴が長いのですが、その始まりは、看護学校時代にダウン症のお子さんのボランティアの会に参加したことです。

20代:仕事と4人の子供の子育ての両立であっという間に過ぎ去りましたが、20代後半から30代では、外科の手術前後の患者さんをケアする病棟で、主にがんのターミナル看護を勉強しました。最初に入会したのが「死の臨床研究会」です。初めてホスピスという言葉を知り、緩和ケアの第一人者でもある山崎章郎先生主催の東京の慶應大学病院で行ったロールプレイングが今でも印象に強く残っています。

30代:医療だけではなくこれからは福祉の知識も必要、と先輩に背中を押され、大学の社会福祉学科を受験し通信教育で4年間通いました。子育てしながらの図書館通い、夜中まで猛勉強した甲斐があり社会福祉士国家資格に一発合格しました。実習では地域の障害者センターに1ヶ月通いました。自閉症のかたが通う作業所で一緒に過ごしたり、障がい者支援について初めて学びました。

ケアマネの資格を取得し東大阪市の介護認定審査会で19年間関わりました。その審査会の時間待ちでふと入ったサロンで知ったアロマセラピーにグングン魅せられてアロマインストラクターの資格を取得した後は、高齢者施設や緩和ケア病棟でハンド・フットトリートメントのボランティアを定期的に行い、のべ2000人以上かたのアロママッサージをしてきました。

40代:ずっと好きでやってきたアロママッサージでしたが、タッチの質をもっと深く学びたいと思いアメリカに渡りました。エサレンボディーワークという全身を波のようなタッチで流すことにより心とからだと魂を全体として捉える技術を習得しました。ライセンス取得後、再度アメリカに渡り、病院でがん患者さんへ緩和のマッサージを生業としておられる女史に個人レッスンをしていただきました。英語は話せないので、サンフランシスコに在住で、のちに友だちになった日本人女性に通訳を頼みました。

2011年の東日本大震災の際は「全国ボランティアナースの会・キャンナス」へ参加の申し込みをし、正社員で働く身でしたが単身石巻に滞在し、小学校の体育館や教室で避難されている被災者の方にフットマッサージをさせていただいたり、炊き出しをしている中学校で血圧測定などの健康チェックをしながら、校庭にテントを張りエサレンマッサージで心と身体のケアをさせていただいたきました。

50代前半:マッサージの癒しを通して緩和ケアをもっと深く学びたいとおもうようになり、高知県立大学でがん専門看護のインテンシブコースを半年間受講し修了証をいただきました。がん看護で生と死について深く考えるようになり、哲学や心理学にも興味を持ちました。物事を良い悪いで片付けるのではなく、自分の可能性を広げる方法を教えてくれる占星術というものに興味を持ち学ぶことになりました。また縁があった先生に師事しシュタイナー教育について1年間学びました。アートの世界に触れることができた貴重な体験でした。

2016年熊本での震災の際は益城町に滞在し、仮設住宅を一軒一軒歩き、疾患調査や内服管理、ご家族の状態など訪問しファイリングする経験をしました。地元に戻り2016年7月、全国のキャンナス97番目にきろんの前身であるキャンナス東大阪を発会しました。
介護保険外のサービスとして数々依頼をいただきました。
例を3件ほど挙げます。

  • お仕事に忙しいご家族に代わって入院中の親御さんの様子を1日1時間でもいいので見てきてほしい。(社協からのご紹介)
    毎日、お亡くなりになるまで病院に面会に行きました。わたしひとりでは無理なので、この活動に賛同してくれる方を募り交代で行きました。
  • ターミナルのご利用者様で在宅療養中でした。ご家族が看取りに不安ということで一緒に2週間ほど見守りました。(地域のケアマネさんからのご紹介)
  • 入院中の男性で、友人の結婚式と披露宴に出席したい。他府県で遠方でしたが親御さんが運転するハイエースで人工呼吸器を装着し、車内でも頻回の吸引と披露宴会場では注入食の注入をしました。(訪問看護ステーションからのご依頼)

この他にもご依頼はいただいて実績は積んで参りました。

50代後半:地域の活動はキャンナス時代から続けており、「災害時のトイレ問題を考える会」や「東大阪集いの場」の活動に参加していました。しかし本業との両立は難しく、孫が10人になり仕事が休みの日は孫とも関わりたいし、とお断わりすることが多くなり、開店休業状態がとうとうコロナ禍で閉店になり、内心は本業を減らそうか、副業を止めようか、など焦りもあったように思います。このWEBサイトは2回目の制作で、リニューアルとなりました。

そして今、還暦を過ぎ、これからの人生をどう生きるか考える段階に入り、若いころにやり残した、やりたくてもできなかったことで社会に貢献したいと考えるようになりました。きっかけは母親の介護を通し、実際に仕事に出ることができなくなった時、お金より時間を第一に考えるようになり、目先の社会保障を手放す勇気が出たことが大きいです。

人生は一度きり、最低限の生きるお金さえあれば欲しいものはもう何もない。というか、老いていき介護が必要になった親や利用者さまを見て、この世でたいせつなことは、目にみえる事や物ではないんだな、とつくづく感じました。

先ほど書いた、やりたくてもできなかったことの3つの柱は

  • キャンナス東大阪で活動していた介護保険外のサービスを、ボランティアではなく小さなビジネスとしてはじめることと。
  • 「マッサージとメンタルケア」というわたしの得意分野で地域で癒しの仕事をすること。
  • 地域の皆さまや、医療職の仲間とのコミュニティづくり(メディカルカフェとか・・・)が年金世代になってからのやりたいこと、になりました。

現在はダブルワークなので予約の枠が少ないですが、その中でも徐々にブログやWEBサイトを通して介護保険外のケアサービスや、リンパ浮腫トリートメントなどの緩和ケア、看取りのお手伝い、メンタルケアなどのお知らせをしていきます。地域にまちの保健室的な居場所ができたらいいな、と思っています。そこを拠点にして、わたしが経験と学習によって得た全ての知識と技術をオープンにして、これからの少子高齢化を支える地域の住民としてお役に立てればと思います。介護保険外のサービスだけではなく、目に見えないこころの探究もわたしの得意とするところなので、ストレス社会であっても自分らしく楽しく働くために、「人生応援セッション」をもっと知ってもらい、いざという時に役立てることができれば幸いです。