東大阪プロジェクト:縁起でもない話をしよう会「愛を育むセルフタッチング」zoomで発表。
先日、東大阪プロジェクト
第28回演技でもない話をしよう会で
情報提供者として発表の機会をいただきました。
東大阪プロジェクトは
東大阪市の河内永和駅近くにある
在宅療養支援診療所 かわべクリニックの川邊院長が主催運営されています。
YouTube開設されているので
過去のためになる動画がたくさんあります
ぜひご覧になってください。
まずは私の発表の動画がアップされてますので是非。
私がなぜセルフタッチングの指導者を目指したのか
発表では簡単に触れていますので
ブログでは少し詳しく
またセルフタッチングを経験して
何に気づいてどんな変化があったのか
書いててみたいと思います。
私はこれまで看護師として40年の間
娘・妻・嫁・母・祖母といろんな役割をしてきました。
学生時代からボランティア活動にも力を入れてきて
立ち止まることをあえて避けてきたように思います。
まずはそのことに気づきがありました。
還暦を過ぎしばらく経って
母親が在宅での要介護状態になりました。
その頃から私の心に異変が起こったのです。
それまで好奇心のままいろんなことにチャレンジして
満足してきたはずなのに
母親と24時間向き合ううちに
さまざまなことが思い出され
感情失禁で涙を流す夜を重ねていました。
子供や孫が手を離れ、やっと自由を手に入れて
さあこれからという時に母親の介護が始まり
今まで以上に依存され縛られる毎日が続きました。
私がやりたいことを実現することができなかった背景には
様々な理由がありました。
まず、看護師の仕事が忙しく
時間やエネルギーを奪われることが多かったことが一つの要因です。
看護師として
さらに管理職として働くことは社会的に重要な責任を伴うものでした。
そのため、自分自身の夢や
やりたいことに時間を割く余裕がなかったのです。
また、母子家庭のため
看護師の仕事をしないと
生活費を稼ぐことが難しいという現実もありました。
生活費を稼ぐためには安定した収入が必要であり、
看護師の仕事がその要件を満たすものであったため
他の道に進むことが難しかったのです。
子供が自立して
社会に出てからはどうだったかといえば
母親の反対が
私のやりたいことを実現できなかった理由の一つでした。
母親は私が看護師として働くことを強く望んでおり
私の夢や選択に対して否定的な意見を持っていました。
強行突破で行動しても
どこからそんなエネルギーが湧くのだろうかという
物理的な邪魔をして
全てがこっぱみじんに終了したことがあります。
幼少の頃からの洗脳で
責任感が強くなり
自分自身の欲求や夢を後回しにしてしまったかもしれません。
私の方が先にあの世に行くのではと
日々恐怖に近い思いで過ごしました。
年齢の順番に
親の方が先に死ぬという根拠はもはやありません。
そんな時、エサレンマッサージの考え方を基礎としている
セルフタッチングの存在ウィを知り
今まで通り直感でこのコースに進みたい、と強く思いました。
6回にわたって講座を受講して確信したのは
私に必要なのは自己肯定感と
セルフコンパッションだったということです。
この6回の講座を受けている期間、まだ完全ではないですが
自分がどのように未来を生きたいのかを
明確にすることができました。
また、
セルフタッチングのモニター体験会を重ねていくうちに
自分自身のケアに時間を割くことが
いかに重要か、当たり前のことがわかりました。
自分自身を大切にする方法を見つけることで
心の癒しの空間的な想像上の場所を得ることができ
いつでもそこに行けば癒されると
心の支えみたいなものができました。
電車の中でもお風呂屋さんでも図書館でもスーパーのフードコートでも・・・。
今でもまだ、依存されることでの苦しみは抱えながら
それでも自分を大切にしていこう
宇宙の中で私と他者を分けることなく
この体が神様からの借り物だとしたら
私も他者の1人なのだから
私に私がボランティアをするつもりで
私に対しての時間を使ってあげようと思いました。
母親の呪縛の中ででも
自分自身の充実した人生を
築いていくことは可能なのだと思うようになりました。
雑踏の中でも瞑想ができるようなものです。
外側で起こっていることは変わらないですが
自分の内側では境界線を引いてフラットでいるよにしたいものです。